あの阪神淡路大震災から31年。
わたし自身は被害はありませんでしたが、
オットが被害が大きかったエリアで
被災しました。
でも無事で生きてくれていて
よかった。
毎年この日になると
思いかえします。
no.1716
阪神淡路大震災から今日で31年。
わたしは大学3年生で
岡山にいました。
それほどおおきな被害は
なかったけれど、
関西方面に行く不便さを
その後しばらく経験しました。
電車から見えるブルーシートで
つくったテントなど
今もあの衝撃波
忘れられません。
我が家にとっては、
それよりも大きいのは
オットのこと。
当時
神戸市垂水区に
住んでいたのですが、
九州方面に旅行に行っていて、
偶然難を逃れたのでした。
住んでいた叔父の離れの建物は
全壊。
スマホもない時代で、
義父は行方が分からない息子を
血眼で探して、
県外に住む中学校の友達など
思いつく人に
連絡をとりまくっていたら、
福岡の友達のところで
連絡が取れて無事が確認できたとのこと。
そんなこんなで、
オットはあのたくさんの死傷者を
出した大震災で
無事難を逃れたのでした。
彼が死んでいれば、
わたしが結婚することが
なかったし、
息子も生まれていない。
彼は、その後も、
冬に車ごと2メートル下に落ちたり、
国道で正面衝突して
車が廃車になっても無傷だったり、
職場の焼却炉でごみを燃やしているときに
手から頭に火が抜けて
大やけどをしましたが、
なんとか今も生きています。
ほんと強運の持ち主。
どうぞこれからも
長生きしてください。

実家の近所はいちごの産地。新種がおいしかった!
一方で、わたしは母を8年前に
69歳で亡くしています。
還暦の頃から徐々に調子が悪くなり
64歳で介護認定で
69歳で亡くなりました。
あんなに元気でテキパキ
なんでも人の二倍
こなす人だった母が
しだいに体力が落ちてきて
寝返りさえ自分でできない、
何もできなくなる様子を
見るのはつらかったですが
人の死にゆくさまを
見せてもらいました。
当たり前に思っていることが
永遠に当たり前に続くことは
ないのだなと思います。
だからこそ、今を大切に、
後悔のない人生を
進んでいきたいと思います。
では、また明日。
| 住所 | 岡山/岡山市東区邑久郷 津山/久米郡美咲町周佐600-19 |
|---|---|
| 受付時間 | 火~土:9:30~17:30 |
| 定休日 | 日・月 |
Profile
1973年岡山市生まれ。
県立岡山城東高校、ノートルダム清心女子大学卒業後、求人誌・ブライダル誌・グルメ誌の編集・製作を経験。
後輩やアルバイトの育成にもかかわる。
このころから「お母さん」とよく呼ばれるようになる。
2001年結婚後退職し、久米郡美咲町に移住。
2004年 開業。様々な業務を経験し、仕事と同時進行で、親の介護、自身の体調不良、プチ不登校児の子育てなどを経験。
これまでに、多くの家庭の話を聞いてきたが、そこで同世代の女性の背負うものの多さや苦しさに直面し、何とか力になりたいと年々強く感じるようになった。
その中でも、自分の使命に従って起業をした女性たちの支援をしたいと思うように。
そこで、2024年から、起業をしたけれどなかなか成功できない女性起業家を多方面からサポートする業務をスタートした。
これまで3000人以上の話を聞いてきた経験から、独自の質問力で、相談者から「ついつい本音を話したくなる」と言われる。
そして、話を聞いているうちに、ついついおせっかいをあちこちで焼いてしまう51歳。
ブログは2021年5月から連続投稿をスタートし、もうすぐ1300日を達成する。
テレビやラジオ、雑誌などメディア出演多数。
現在、夫と息子(高1)とネコ1匹と岡山の中山間地域で田舎暮らしをする。
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