アラフィフの「お母さん」のモヤモヤを整えてスッキリ!
笑顔で晴れ晴れと生きる気づきを届けます!

わたしが「おせっかいおばさん」なのはいつから?

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自分のまたまた

自分の振り返り投稿です。

今日は

「おせっかいおばさんなのはいつから?」

自分の振り返りなので、

ご興味ない方は

スルーでどうぞ。

 

 

このブログは、

子育て、家事、介護、夫婦関係、

そして、仕事、その他・・・

何かと忙しいアラフィフの「お母さん」が、

日々いろんな問題にぶつかるけれど、

自分らしさを取り戻し、

笑顔ですごせるよう、

 

榎本尚子が、

人生を整えるメッセージを

毎日お送りしています。

no.1170

 

 

「異端児」で言われたこと

 

 

ただいまブログ講座の上級コース

「異端児エリート育成大学校」の

2年生を受講中です。

 

 

先日の2回目の講座の時に、

 

 

講師のゆうじろうさんから

 

 

 

おまえは存在が
「おせっかいおばさん」じゃ。

そのおせっかいは
いつからなんじゃ。

それを掘り下げてみろ

 

と言われたので、

この投稿では

考えてみたいと思います。

 

 

長女ではあったけど

 

わたしは、長女であったけど、

妹2人に対しては、

決して、決して、決して

いい姉ではありませんでした。

 

 

社会人になってから、

次第に仲良くなりましたが、

 

 

それまでは

超自己中心的な

姉だったと思います。

だから、妹たちからは

「自分勝手な姉」と

しばらくは

思われていたはず。

 

 

反抗期とか、

小さい頃親に妹たちの

面倒を強制的に

見るようにいわれていたのが、

本当に嫌だったので、

そこの反動なのか

妹たちに対しては、

特にひねくれていたように

思います。

 

 

近すぎると

見たくないところまで

見えるし、

言われたくないことも

言われるし、

というのが

お互いだったのかも。

 

 

お互いが就職して家を離れ、

結婚して県外に

行ってしまったところのほうが

お互いの話をするように

なった気がします。

 

 

そして、我が家は母が早くに

介護状態になったので、

そこでお互いのできることを

遠隔で調整し合って

乗り越えたのが

よかったのかなとおもいます。

 

 

おせっかいの

話で言えば、

介護に関しては

何にもしないと思っていた私が、

 

 

母の通院のつきそいや、

家のことなどをしたことが

妹たちにとっては

驚きだったようで、

 

 

そこで、30代後半から40代にかけて

妹たちとの関係が大きく変わったと

思います。

 

 

わたしにしてみたら、

母の世話は

「自分が母の介護に対して

後悔をしたくない」という

思いからだけだったのですが。

 

 

結果、母は69歳という若さで

亡くなってしまいましたが、

 

 

わたしは、治療のことから、

施設選び、

ケアマネさんとの

コミュニケーション

葬儀の段取りことまでやり切ったと

思っているので、

後悔はないです。

 

 

おせっかいはいつから?

 

 

母との関わり方については、

また別で述べることに

なると思いますが、

 

 

おせっかいになったのは、

おそらく小学校中学年から。

 

 

交換日記のメンバー揃えて

段取りをつけた

あたりでしょうか。笑

 

 

とにかく、お世話係に

気が付いたらなっていて、

どこに行っても、

後輩からは「ママ」と

呼ばれることもしばしば。

 

 

わたしのなかで、

いろんな場面で、

回りを見ていて、

「あれ?」と、

「小さな違和感」があるときは、

手を出さずにいられないのと、

 

 

「この人を応援したい」と

思ったら声をかけずにいられない

という習性があります。

 

 

それは、おそらく、

父と母と、祖母と、

親戚のおばちゃんたちが

 

 

困っているときに、

お互いに

ええよ、やっといてあげる

 

というのが、

幼いころから見ていて

いいなあ、と思っていた

ところだったのかもしれません。

 

 

そういうのを見てきたわたしは、

 

大丈夫?

 

 

声をかけたときの

相手のホッとする顔。

 

 

一方で、

「これはいける!」と、

直感的に感じるものが

あるので、

伝えるようにしています。

 

〇〇さん、
これ向いてると思う

 

〇〇さん、これ行けると
思うからやってみたら?

 

そして、言った時の、

相手の「またまたーー」と

遠慮しながら

スイッチが入っていく様子。

 

 

それを見るのが

たまらない。

 

 

そして、

それをサポートするのが

楽しいのです。

 

 

ただ、今までは、

そこで、対価をもらわない

あるいはもらっても、

ごくわずかだったので、

 

 

段々自分が疲弊していくことが

多かったのですが、

それでは、

自分の強みを活かすのは、

 

一瞬のことでしかなくなります。

 

 

 

わたしが、周りの人を
応援していくために
自分の強みを活かしきるには、

やはり、
それなりの対価を
もらっていこうと思います。
いや、頂きます。

 

では、また明日!

 

 

 

 

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あなたを笑顔に変える伴走者

                               
名前榎本 尚子
住まい岡山県

Profile

1973年岡山市生まれ。県立岡山城東高校、ノートルダム清心女子大学卒業後、求人誌・ブライダル誌・グルメ誌の編集・製作を経験。後輩やアルバイトの育成にもかかわる。

厳しい家で育ち、お金を自由に使えなかった反動で、大学時代は家庭教師などバイトに明け暮れ、入ったお金を右から左へと使いまくる。その上、社会人になって、高額エステで、数十万のローンを組み、車やパソコンを購入し、預金がスッカラカンに。

そこから、お金の使い方を考えるようになり、ファイナンシャルプランナーという職業に興味を持つ。そして、「自分の知識や経験で、周りの人を幸せにしたい」と思うように。

その後、国内生保営業を経て、2004年 ファイナンシャルプランナーとして開業。ファイナンシャルプランナーでは、19年間で1000組以上の世帯の相談にこたえる。

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