20代の自分の振り返り2日目です。
製作現場でヘロヘロだけど
なんとか仕事をしていた時期。
あの状況の自分を今見たらどう思う?
そんなことを考えてみました。
このブログは、
子育て、家事、介護、夫婦関係、
そして、仕事、その他・・・
何かと忙しいアラフィフの「お母さん」が、
日々いろんな問題にぶつかるけれど、
自分らしさを取り戻し、
笑顔ですごせるよう、
榎本尚子が、
人生を整えるメッセージを
毎日お送りしています。
no.1051
昨日から20代の頃の振り返りをしています。
今日は2日目。
新卒で入社した会社では、
最初は求人広告作りからのスタート。
テキストだけの求人広告から、
1ページの1/3や
半ページの広告の修正。
当時はまだMacがなくて、
ワープロで文字を打ち出して、
それをコピー機で拡大して
横長縦長に加工して、
カッターで切って、
スプレー糊を吹き付けて
それを原稿用紙に張り込む
今では考えられないような作業を
していました。
1年目の半年を経過したころから
あのカラフルなiMacの一つ前の世代の
グレーのpowerMacが導入になり、
このタイプ。もちろんモニタはブラウン管
少しずつ使うようになりました。
1996年~1997年の話なので、
Macはあっても、
直接ネットにはつながってなくて、
毎週社内の印刷工場に
社内通信でテキストデータを
ピー――ヒョロヒョロヒョロと
最初は送っていたと思います。
懐かしいな。
そのうち、Macのデータを
印刷に遅れる仕組みができて、
サーバーにデータを
管理するようになりました。
上司が時々バックアップを
取っていたのですが、
ある時、週刊誌の
締め切り前の月曜日に
データが急に増えすぎて
今回の出稿データが
飛んでしまったのが
夕方18時頃。
そこから他拠点の人も手伝いに来て
出稿データを
夜通し作りなおして、
翌日昼過ぎまでに
出稿(印刷にデータをまわす)をして
午後はスタッフ全員
抜け殻になってた
という時もありました。
チオビタにアリナミンの
錠剤を合わせて飲むと、
とりあえず眠気は飛びます。
(今考えれば
カフェイン×カフェインという
仕組みですね)
そのうち、そのまま
目を開けたまま寝られるということも
学びました(学びたくないけど)
もう30年近く前の話ですが
今書いてみると割と鮮明に
覚えているものですね。
今だと、データもそうそう
簡単に飛ぶことはないだろうし、
作業も随分楽になっています。
そしてなにより、
紙での求人誌が縮小して
ネット掲載が中心になっているので、
ここまで追い立てられることは
少なくなってるでしょうが
別の締め切りに
常に追いかけられているのでは
ということは
容易に想像できます。
こういう仕事をしている場合
「やってもやっても仕事がわいてくる」
状態でして、
作っては次、作っては次
がエンドレスになります。
こういったことが続くと
段々メンタルも
危うくなってきます。
私も例にもれず、
部署移動で
さらにハードワークになった時に、
締め切り直前になると
咳がとまらなくなったり、
帰り道で
バイパスの合流地点で
待っていた時に
「このまま突っ込んだら
仕事からは一瞬解放されるかな」
という、
今でいう「希死念慮(自殺願望)」
が浮かんだことは
何度かありました。
今ほどメンタルヘルスが
言われてない時代でしたから、
「メンタル壊した⇒敗者」
のような
図式ができあがっていました。
会社を休むというよりは、
辞める、
そんな人が周りにゴロゴロいて
自分の同期もどんどん辞めていき、
自分の後から入った人も
辞めていく人が
少なくありませんでした。
昨日の
私がやめたらみんなに迷惑がかかる
という図式は、
振ったはずの仕事が
また戻ってくる、という経験を
何度も繰り返して
自分の中で出来上がっていきました。
そんなことないのにね。
無理だな、というときは
逃げていいんだよ。
今の私なら
間違いなく言います。
そして、
社員を踏み台にするような
会社だったら
離れるのは仕方ない。
残るとしたら
会社の発展をするにしても、
社員の心身のことも
ちゃんと考えてくれる会社だったら
とお伝えします。
また長くなってしまいました。
明日に続きます。
ではまた明日!
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Profile
1973年岡山市生まれ。
県立岡山城東高校、ノートルダム清心女子大学卒業後、求人誌・ブライダル誌・グルメ誌の編集・製作を経験。
後輩やアルバイトの育成にもかかわる。
このころから「お母さん」とよく呼ばれるようになる。
2001年結婚後退職し、久米郡美咲町に移住。
2004年 開業。様々な業務を経験し、仕事と同時進行で、親の介護、自身の体調不良、プチ不登校児の子育てなどを経験。
これまでに、多くの家庭の話を聞いてきたが、そこで同世代の女性の背負うものの多さや苦しさに直面し、何とか力になりたいと年々強く感じるようになった。
その中でも、自分の使命に従って起業をした女性たちの支援をしたいと思うように。
そこで、2024年から、起業をしたけれどなかなか成功できない女性起業家を多方面からサポートする業務をスタートした。
これまで3000人以上の話を聞いてきた経験から、独自の質問力で、相談者から「ついつい本音を話したくなる」と言われる。
そして、話を聞いているうちに、ついついおせっかいをあちこちで焼いてしまう51歳。
ブログは2021年5月から連続投稿をスタートし、もうすぐ1300日を達成する。
テレビやラジオ、雑誌などメディア出演多数。
現在、夫と息子(高1)とネコ1匹と岡山の中山間地域で田舎暮らしをする。
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