まだまだ続く、
振り返りシリーズです。
今日は自分の特性を知って
取り扱いを考えて動くようになって
楽になってきた話。
このブログは、
子育て、家事、介護、夫婦関係、
そして、仕事、その他・・・
何かと忙しいアラフィフの「お母さん」が、
日々いろんな問題にぶつかるけれど、
自分らしさを取り戻し、
笑顔ですごせるよう、
榎本尚子が、
人生を整えるメッセージを
毎日お送りしています。
no.1184
思えば、
わたしは小さいころから
「あたりまえ」にすることが
苦手な子でした。
授業中、先生の話に飽きたら、
ノートの端っこに絵を描く。
テストが終わったら、
答案用紙の裏に落書きをする。
大学受験の前は
捨てた教科(生物とか)の
授業中には、
受験科目の問題集を解く。
大学時代は、必須科目でも
興味がなければ
内職か寝る。
会社員の時は、
会議の時に、
ウツラウツラ。
興味があることには
一生懸命ですが、
興味がないことには
まったくダメ。
大学の成績も、
真面目な友達が何度も落として
苦労する教科も、
「へーー面白い」と思えば
1回で合格。
でも、まったく興味が
わかない場合は、
再再受講でやっと「可」。
会社員でも、他の人がいたり、
仕事をしながら電話を取って、
他の人につなぎながら、
自分の仕事をするのが苦手。
注意力散漫なので、
目の前のことに、
スイッチが入るまでに
時間がかかるけど、
スイッチが入ると、
やめられない。
他のことに手がつかない。
親からは「きちんとしなさい」と
言われて育ちましたが、
きちんとやることは、
できないことはないけれど、
終わった後に、
ものすごく疲れる。
社会人になって、
「どうすればこの目の前のことを
効率よく終わらせることができるのか?」
を考えるようになった時に、
他の人と離れたところで
作業をするほうが
仕事がはかどる
ということに気づき、
集中して片付けないといけない仕事は、
部署からはなれた席でやってみたり、
みんなが帰った後や
休日に出勤して作業をするほうが、
効率がいい、というか
ストレスが少ないからはかどることに
気づきました。
子どもが成長する過程で、
何度か問題にぶつかった時に
「発達障害」という言葉を知り、
その定義を読めば読むほど
・・・・わたしだ
と思うようになりました。
診断は受けていませんが、
おそらく高確率で
ADHD(注意欠陥多動性障害)や
ASD(自閉スペクトラム)が
あると思います。
・気持ちの切り替え下手
・時間の管理が下手
・衝動性がある
・苦手なことを後回しにする
・興味のあるものと無いものの差が激しい
・過集中
・注意力散漫
・人との距離感の取り方が苦手
・感覚過敏(私の場合は疲れていたり寝起きは音がキンキンしてくる)
このあたりが当てはまります。
(書いてみると結構あるな・・・)
ということで、
自分が発達障害があったことに
改めて気付いたのでした。
そこから、それまでの
「生きづらさ」から
少しずつ自分の取説を知って
生きやすさが出てきて
今に至るわけですが、
まだまだ道半ば。
ただ、幼いころから
自分に刷り込んでしまった
「わたしはダメ人間だ」という思いは、
自分の取説がわかって、
自分のいいところも認めてきたら
少しずつ解消されてきました。
トラウマのケアと、
発達障がいへの理解と
両方できたのは
よかったです。
そして、自分のこれまで
通ってきたところで
何かお役に立てればと思い、
模索中です。
先日から自宅の片付けをしていて、
出てきたこの本を
久々に読んで、
画像をクリックするとAmazonに行きます。
そうそう、これこれ、
そうなのよ。
と、読みながら
ニヤニヤしてしまいました。
気が付いたら
これ10万部越えてるのですね。
ほんと、おすすめの一冊です。
ということで、
ダメなところ、
苦手なところがあっても、
生きる術が
分かっていれば大丈夫。
では、また明日!
質問受け付けています!
LINE公式アカウント、
匿名の場合は、
質問サイトマシュマロからどうぞ。
住所 | 岡山/岡山市東区邑久郷 津山/久米郡美咲町周佐600-19 |
---|---|
受付時間 | 火~土:9:30~17:30 |
定休日 | 日・月 |
Profile
1973年岡山市生まれ。県立岡山城東高校、ノートルダム清心女子大学卒業後、求人誌・ブライダル誌・グルメ誌の編集・製作を経験。後輩やアルバイトの育成にもかかわる。
厳しい家で育ち、お金を自由に使えなかった反動で、大学時代は家庭教師などバイトに明け暮れ、入ったお金を右から左へと使いまくる。その上、社会人になって、高額エステで、数十万のローンを組み、車やパソコンを購入し、預金がスッカラカンに。
そこから、お金の使い方を考えるようになり、ファイナンシャルプランナーという職業に興味を持つ。そして、「自分の知識や経験で、周りの人を幸せにしたい」と思うように。
その後、国内生保営業を経て、2004年 ファイナンシャルプランナーとして開業。ファイナンシャルプランナーでは、19年間で1000組以上の世帯の相談にこたえる。
詳細を見る