仕事の移動時間は
できるだけ減らせば
タイパ・コスパともに
あがります。
「わたしさえ我慢すれば」は
いつか限界が来ますよ。
このブログは、
発想は素晴らしいけど
なかなかチャレンジしない
女性経営者をゼロにする。
ひよっこ女性起業家の船出を支援する
おせっかいパートナー
榎本尚子が、
日々に役立つメッセージを
毎日お送りしています。
no.1271
コロナ禍の恩恵
コロナ禍でわたしにとっての
いちばんの恩恵は
移動時間が劇的に減ったことでした。
結婚後、
岡山のちょうど真ん中あたりの
中山間地域に引っ越したことで、
それまでの生活を維持をしようと思ったら、
とにかく移動時間を
惜しまないでいく
という選択でした。
仕事でも遊びでも
「どこでも行きますよ」と
言っておけば、
そのままお誘いは来る。
しかし、移動時間は
今まで遠くても
片道1時間かからなくて
行けたところが、
最低一時間は必ずかかる。
これは時間のロスも
大きいですが、
コストも大きくなる。
2002年~2019年まで
年間3万キロは
大体走っていたので、
車は消耗品と割り切り、
年式古めの
走行距離乗っていない車を
安い時は40万円(友達や妹から購入)、
高くても80万円程度で
4年おきに買い替える生活に
なっていました。
合間に
母の介護もありましたので、
呼び出されたら時間関係なく
飛んでいくような生活でした。
体力が続く限りこの生活は
続くんだろうなあ
と思っていましたが、
まさかのコロナで
事態が一変。
途中、数か月
実家の片付けで
ほぼ毎日通うようなことも
していましたが、
今乗っているシエンタが
2020年の10月に
25,000キロで
購入したのが
(2015年製)
2回目の車検を終えて
今120,000キロ。
コロナ禍以降、
息抜きドライブや
セミナー参加で
広島・関西など
近場の県外へも車で行くことが
増えたので、
あまり大幅には減っていませんが、
1年あたり、23,750キロ。
乗り心地がいい車なので、
あと2年?あと4年?
いや、壊れるまでは
乗りたいところです。
仕事とはいえ、
長距離移動を
単純に割り切れていたかというと、
そんなはずはありません。
やはり、仕事上で、
時間のロスを
選んだ自分や
今の自宅の場所を選んだ
オットを恨みました。
でも、子どもを育てることを
考えたら、
実家に頼れない以上、
義両親に頼るしかなくて、
そうなるとわたしは
仕事の移動時間を割り切るしか
ありませんでしたが、
途中、事務所を岡山市内に借りて
そこにお客様に来てもらって
対応していた時期もありました。
でもこれは結果的に
ロスが大きかった。
2回チャレンジしましたが
どちらもうまくいかなくて、
2年・3年で撤退。
その後コロナがあって、
オンライン面談が一気に身近になり、
それまで
わざわざ訪問していた方とも
オンラインでやりとりが
できるようになりました。
なにせ、生命保険の契約でさえ
これまで、どんなに遠くても
「面前自署」必須だったのが、
「オンライン契約OK」に
なりましたからね。
コロナ禍では、
県外の方とのオンラインでの
やりとりが
一気に増えました。
わたしの場合は、
コロナという禍があったおかげで
強制的にコスパとタイパの
圧縮ができて、
逆に県外の方とのつながりが
増えて今に至りますが、
起業してこれから事業を
展開される方は、
できれば、オフィスと自宅は
近いほうがいい。
特に家族を持つ女性は
近いほうがいい。
わたしは今は9割がた自宅にいます。
わたしの場合は、
息子がプチ不登校だったと
いうのもあるので、
息子の様子を見ながら
仕事ができたのは
非常に助かりました。
女性の場合は、
「仕事だけ」、というのは
なかなか立場的に
難しい。
だからこそ、
できるだけ働く環境は
整えてほしいです。
「わたしさえ我慢すれば」は
長続きしませんよ。
いつかどこかで
無理が来る。
では、また明日。
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Profile
1973年岡山市生まれ。県立岡山城東高校、ノートルダム清心女子大学卒業後、求人誌・ブライダル誌・グルメ誌の編集・製作を経験。後輩やアルバイトの育成にもかかわる。
厳しい家で育ち、お金を自由に使えなかった反動で、大学時代は家庭教師などバイトに明け暮れ、入ったお金を右から左へと使いまくる。その上、社会人になって、高額エステで、数十万のローンを組み、車やパソコンを購入し、預金がスッカラカンに。
そこから、お金の使い方を考えるようになり、ファイナンシャルプランナーという職業に興味を持つ。そして、「自分の知識や経験で、周りの人を幸せにしたい」と思うように。
その後、国内生保営業を経て、2004年 ファイナンシャルプランナーとして開業。ファイナンシャルプランナーでは、19年間で1000組以上の世帯の相談にこたえる。
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