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文章が苦手だとブログは書けない?

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文章が子供のころから

スラスラ書けていた人は、

そんなにたくさんいないはず。

 

わたしも、読書感想文は

あとがきを

うつすタイプでした。

 

社会人になりたての頃は

「あなたの文章は日本語じゃない」と

暴言を浴びせられていた

わたしですが、

 

少しずつの積み重ねで、

今に至ります。

いい文章なんて

今でもかけてるとは思わないし、

書こうとしなくて

いいんだと思います。

 

今日はそんな話。

 

no.822

 

文章書くの苦手なんですよ。

 

 

今回、毎日ブログの講座の案内を

個別でさせていただいた方から、

こんな話がありました。

 

 

 

私の苦手なことランキング

 

一位 片付け

二位 毎日続けること

三位 文章を書くこと

 

なんですよー。

 

 

これを見たとき、

20代の私は、

全部当てはまっていたなと

思いました。

 

 

文章を書くことがトラウマになった20代前半

 

私は新卒で入った会社で

求人情報誌の制作に

関わっていました。

 

 

求人広告を作るとともに、

巻頭にある、記事の取材を

任されていました。

 

 

ただ、当時の指導担当の先輩との

相性が非常に悪く、

私も相当、甘かったと思いますが

毎度コテンパンに添削をされて

当初書いた原型がないような

状態になっていました。

 

 

先輩も相当指導に苦労されたようで、

「あなたの文章は

日本語じゃない!」

吐き捨てられるように言われた時は、

 

 

もう、どうしたものか、分からない。

どうやっても怒られるようで、

アタマがフリーズ。

 

 

その後、その先輩が

指導から離れた後も、

しばらく「文章アレルギー」に

なっていました。

 

 

一方で、広告の製作の

打ち合わせなどは

問題なくやっていて、

 

 

だんだん営業担当抜きで

直接打ち合わせも

増えていきました。

 

 

当然、短い文章や

キャッチコピーなどは

自分で考えて、

書いていました。

 

 

 

自分の頭の中で、

記事を書くことと、

広告のキャッチコピーを書くことは

別物として認識していたようです。

 

 

文章を書くことのトラウマから抜け出した理由

 

その会社には六年弱在籍していましたが、

最後の2年は、記事を書くことから

すっかり離れていました。

 

 

それから、結婚して

退職して、少しの間

デザインの仕事を

個人で受けていました。

 

 

その時に、

たまたま前職のつながりで、

声をかけられた

ランチの取材の仕事で

「取材はするけど、

文章はライターさんに

頼む」という形で受けました。

 

 

そこで、取材メモを渡していた

元同僚

(その先輩とのやりとりを

目の前で見ていた人)から、

 

「十分文章書けるよ、

書いてみたらいいのに」

言われてびっくり。

 

 

そうか、わたしも

広告製作で、

やっていたことが

文章を書くことの

練習になっていたのだと、

 

 

やっとトラウマから

抜けられました。

 

 

その後、

ファイナンシャルプランナーとして

仕事をするようになって、

お金のプロとして

記事を書かせていただく

ようになり、

 

 

少しずつ文章を書く

経験を積ませていただいて

今に至ります。

 

 

今でも、ごくたまに

ライターやPR、放送関係の方に

見ていただくと、

やっぱりびっしり

修正がはいりますが、

 

 

わたしはライターではないので、

指摘されたら直そう、

というスタンスです。

(それはそれでなかなか大変ですが)

 

 

 

スラスラ文章が書ける、というわけではないけれど

 

あの新人時代のPTSDレベルの

トラウマは外れていますが、

文章を書くことは

やっぱり得意ではありません。

 

 

ただ、ブログを

毎日書くようになってから

800回もやっていれば、

 

 

何にもやっていなかった人よりは、

書くのは早くなったと思うし、

一つの事柄について

細かく描写ができるように

なったと思います。

 

 

そして、自分の

「本当にやりたいこと」も

確実に見えてきます。

 

 

おそらく、「素振り」を

毎日やっているのだと思います。

 

 

そう考えたら、

継続が超苦手な私、

2年以上よくがんばっているなと

思います。

 

 

ということで、

わたしも最初から

文章が書けたわけではありません。

 

 

 

毎日書き続けるという

「素振り」に

チャレンジしてみよう、

という意欲があれば

書いて行けると思います。

 

ぜひ、一緒にやりませんか?

 

 

こちらもあわせてどうぞ。

 

自分の人生を変えたいなら、毎日ブログを書いてみよう

 

 

では、また明日!

 

 

喫茶お福

心を解放できる時間を過ごしましょう!(月1回開催)

次回
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8月23日(水)
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次回予定は9月調整中 (水)
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あなたを笑顔に変える伴走者

                               
名前榎本 尚子
住まい岡山県

Profile

1973年岡山市生まれ。県立岡山城東高校、ノートルダム清心女子大学卒業後、求人誌・ブライダル誌・グルメ誌の編集・製作を経験。後輩やアルバイトの育成にもかかわる。

厳しい家で育ち、お金を自由に使えなかった反動で、大学時代は家庭教師などバイトに明け暮れ、入ったお金を右から左へと使いまくる。その上、社会人になって、高額エステで、数十万のローンを組み、車やパソコンを購入し、預金がスッカラカンに。

そこから、お金の使い方を考えるようになり、ファイナンシャルプランナーという職業に興味を持つ。そして、「自分の知識や経験で、周りの人を幸せにしたい」と思うように。

その後、国内生保営業を経て、2004年 ファイナンシャルプランナーとして開業。ファイナンシャルプランナーでは、19年間で1000組以上の世帯の相談にこたえる。

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