
気が付けば1学期も終わり夏休み。
転校した我が家の高2男子は
その後どうなったか?
それとあわせて、
この時期ちらほら出てくる
「アレ」についても考えてみました。
no.1538
お子さんがいるご家庭では、
夏休みに入りましたね。
お子さんが小さいと、
学童の弁当が!!とか
大きくなっても、
お昼ごはんの用意が!!!とか
頭を抱えるお宅も
多いでしょう。
我が家の高2男子は
週2日しかサポート校に
行かないので、
登校日に、
途中で食べるお弁当と、
バイトの前の
朝ごはんとを
用意するぐらいなので、
まあ、一学期と同じく、
「通常運行」です。
さて、高校一年生の
この時期になると、
「アレ」をちらほら、
聞くようになります。
「アレ」とは退学・転校。
春の入学から数か月。
新しい生活がスタートしたものの、
受験で失敗したところから
抜けきれなくてつまづく子もいますし、
希望校に入ったものの、
授業のペースについていけなかったり、
友だちができない、
人間関係でつまづくこともあります。
早い子は、GW明けから
学校に行かなくなって、
夏休みに転校の手続きをして
2学期から次の学校での
生活をスタート。
転校すればまだいいほうで、
1学期で高校を退学した後は、
そのままフリーターに
なってしまった子もいました。
ここでも何度か書いていますが、
我が家の高2男子も、
2年生の春から通信制のサポート校に
転校しました。
元の学校での様子でいえば、
1学期は新しい友達がどんどん増えて
楽しく行っていたものの、
2学期は欠席が増え、
3学期はなんとか単位ギリギリの
出席日数でした。
年末に、
「学校がつまらない。
ちょっと無理かも」と
言い始めて、
そのころはまだなだめすかして
いました。
でも、年が明けると
どんどん休む日が増えて
さすがにこれはヤバいと思って
今後の話をする時間が増えました。
そこから学校探しが始まって
説明会に参加して、
今のサポート校に見学に行って
転校を決めました。
こうやってざっと書くと
一瞬「へー」で思うかもですが、
やはりなかなか大変でした。
(しかも家族の入退院が同時期にあり、
ドタバタでした)
でも、転校してそろそろ3か月。
新しい友達もできて、
元々の飲食店のバイトのほかに、
サポート校の近くで、
好きな古着屋でバイトを始めて、
自分のやりたいことを
思いのままに実践している
息子の姿を見たら
この選択でよかったと
思うのです。
当然、イラっとか
ムカっとすることは
日々ありますけどね。
サポート校に転校を決めたときの
詳細もあわせてどうぞ。
息子が通信制高校のサポート校に編入。親が大切にしたことは?
実際にいろんな親御さんの
話を聞いて思うのですが、
不登校って、子どもの「もうムリ」の
明らかなサインです。
それを、どう受け止めるか?
小中学校なら年単位で
学校に行かない子どもたちもいますが、
高校になれば毎年、
いやもっと短いスパンで
学校から「どうするんだ?」と
つついてこられます。
高校はその先の進路を
どうしていくのか?
というのでも
大切な時期。
今の学校にこのまま在籍するのか、
転校するのか?
退学して働くのか?
ついつい親がやきもきしながら
先回りして動いて
しまいがちになりますが、
優先すべきは
「本人が何を望んでいるか」です。
先日も、人間関係でつまづいて
学校に行きづらくなっているる
お子さんのことの話を
してくださった
方がいました。
トラブルの相手のことや
学校のこちらの希望とは違う対応を
親は責めがちですが、
最終的には、
子どもがどうしたいか?
なのです。
親の怒りの解消は、
優先すべきところではない。
そこを間違えないようにしないと、
本質的な解決にはつながらないなと
その方と話をしていて思いました。
当然ながら、
親も子どものことだけやっている
わけではありません。
自分の仕事のことや、
もしかして親の介護もある。
経済的な問題で寝る間を惜しんで
働いている場合もある。
いろんな役目や問題を
背負っている中で
悩みのタネはさっさと片付けたいのが
人間の真理でしょうけど、
子どもは自分と別の人間であり、
所有物ではないことも
忘れてはいけないなと
改めて思います。
自戒の意味を
込めて。
もし、親のあなたが
子どもの不登校のことで
仕事がままならない!
という状況なら
ぜひお話聞かせてくださいね。
では、また明日!
住所 | 岡山/岡山市東区邑久郷 津山/久米郡美咲町周佐600-19 |
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受付時間 | 火~土:9:30~17:30 |
定休日 | 日・月 |
Profile
1973年岡山市生まれ。
県立岡山城東高校、ノートルダム清心女子大学卒業後、求人誌・ブライダル誌・グルメ誌の編集・製作を経験。
後輩やアルバイトの育成にもかかわる。
このころから「お母さん」とよく呼ばれるようになる。
2001年結婚後退職し、久米郡美咲町に移住。
2004年 開業。様々な業務を経験し、仕事と同時進行で、親の介護、自身の体調不良、プチ不登校児の子育てなどを経験。
これまでに、多くの家庭の話を聞いてきたが、そこで同世代の女性の背負うものの多さや苦しさに直面し、何とか力になりたいと年々強く感じるようになった。
その中でも、自分の使命に従って起業をした女性たちの支援をしたいと思うように。
そこで、2024年から、起業をしたけれどなかなか成功できない女性起業家を多方面からサポートする業務をスタートした。
これまで3000人以上の話を聞いてきた経験から、独自の質問力で、相談者から「ついつい本音を話したくなる」と言われる。
そして、話を聞いているうちに、ついついおせっかいをあちこちで焼いてしまう51歳。
ブログは2021年5月から連続投稿をスタートし、もうすぐ1300日を達成する。
テレビやラジオ、雑誌などメディア出演多数。
現在、夫と息子(高1)とネコ1匹と岡山の中山間地域で田舎暮らしをする。
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