2007年、2009年、2015年と
チャレンジした100キロ歩行が
今年もまた開催されました。
この時期はいつも、
どんな想いで歩いたか、
思い出します。
このブログは、
子育て、家事、介護、夫婦関係、
そして、仕事、その他・・・
何かと忙しいアラフィフの「お母さん」が、
日々いろんな問題にぶつかるけれど、
自分らしさを取り戻し、
笑顔ですごせるよう、
榎本尚子が、
人生を整えるメッセージを
毎日お送りしています。
no.1092
毎年5月3日・4日は
晴れの国岡山100キロ歩行が
開催されています。
もともとは岡山政経塾の
研修の一環から始まったこのイベントが
今はチャレンジャーが1000人規模の
参加者になっています。
わたしは、
2007年・2009年
(岡山政経塾行事)で参加して、
44キロ・81キロでリタイヤ、
その後2015年に
100キロ完歩しました。
もう9年前ですね。
今回はちょうど実家の庭掃除に
帰っているところで、
準備をしている方々に
遭遇しました。
最後にお手伝いをしたのが
2018年か2019年だったので、
そろそろ手伝おうかなと
思っていたら、
どうやらこの秋から
再開する政経塾で
今年は秋に塾生向けに
開催するとのことで、
そちらを手伝おうかなと
思っています。
今はアスリート色が強くなった
100キロ歩行ですが、
わたしが最初に参加したころは
30人もいない程度の規模で、
精神的な鍛練の意味合いが
強かったです。
少しずつ人数が増えて、
社員研修の一環として、
新入社員が歩く会社もあれば、
会社の管理職が
歩くのを、
スタッフが仕事が終わった後に、
みんなで応援に
来ていたこともありました。
学校になかなか
行けなかった高校生が、
100キロを泣きながら歩いて
そこからスイッチが入って
大学に進学し
その後マジシャンとして
活躍するまでに
なっていたりします。
わたしも、2007年と2009年の
チャレンジの間に
息子を出産して
状況が大きく変わった中で
歩いたのもいい思い出です。
2015年と2009年に歩いたときは、
2007年の塾の同期や後輩が
励ましてくれました。
そして、毎度歩くたびに
家族や仲間の存在のありがたさを
思い出しては
泣いてました。
そんなことを思い出GWです。
我が家でこの時期は
「ほんと、あれは
よくやったもんだ」と
笑い話になる
100キロ歩行ですが、
サポーターで参加するときは
息子を小さいころから、
たびたび連れて行って、
一緒にチャレンジャーの方を
応援していたところ、
今年は息子が
と
言い出したのはびっくりでした。
根気があるとは
とても言えないタイプなので、
最初から100キロではなく、
短いコースから
チャレンジしてみては?
練習も相当要るよ。
サポートするから
がんばってみたら?
と、話をしてみました。
歩いたことで何か
精神的な成長ができるのは
間違いないので、
様子を見守ってみようと思います。
こちらから勧めたわけではなく、
冗談でも自分で「歩こうかな」と
意志を示したのが
びっくりでした。
さあ、どうなることやら。
誰かに言われて「じゃあ、そうする」と
言うのと、
自分で「やりたい」というのでは、
同じことをするのでも
重みが全然違います。
進学や就職に限らず、
日々の選択の一つずつで
どれだけ自分で選択しているか。
色んな人の話を聞くのは大切だけど、
最後の最後で自分が「これだ」と
決定を出していきたいものです。
なかなか難しいですけどね。
流されるほうがその場は簡単だったりするけれど、
自分の意志とは違うところで
話が動いてしまうことが続くと
自分の心が置いてきぼりに
なってしまいます。
そしてそれが続くと、
体も心も壊れ始めます。
「やりたい」「いやだ」
しっかり意思表示して
いきたいものです。
では、また明日。
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Profile
1973年岡山市生まれ。県立岡山城東高校、ノートルダム清心女子大学卒業後、求人誌・ブライダル誌・グルメ誌の編集・製作を経験。後輩やアルバイトの育成にもかかわる。
厳しい家で育ち、お金を自由に使えなかった反動で、大学時代は家庭教師などバイトに明け暮れ、入ったお金を右から左へと使いまくる。その上、社会人になって、高額エステで、数十万のローンを組み、車やパソコンを購入し、預金がスッカラカンに。
そこから、お金の使い方を考えるようになり、ファイナンシャルプランナーという職業に興味を持つ。そして、「自分の知識や経験で、周りの人を幸せにしたい」と思うように。
その後、国内生保営業を経て、2004年 ファイナンシャルプランナーとして開業。ファイナンシャルプランナーでは、19年間で1000組以上の世帯の相談にこたえる。
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